県労連機関紙

友好団体高知県労連の情宣

8月機関紙

「誰が未来を変えるのか――今、主権者としての私たちへ」

 2025年7月20日――その日、日本の政治地図が静かに、しかし確かに塗り替えられた。第27回参議院選挙で、自公政権が過半数を割り込み、長らく続いてきた「数の力」の支配が大きく揺らいだ。高知・徳島合区では、無所属「県民党」を貫いた広田一氏が圧倒的な支持を受け、通算4期目の当選を果たした。組織の後ろ盾を持たず、地に足をつけた訴えが人々の心に届いたということだ。

 なぜ、今この変化が起きたのか? それは、「まっとうな政治を求める声」が、もはや声のままに終わらせられなかったからだ。物価高にあえぎ、減税を求めても届かず、裏金問題や旧統一教会との関係に憤っても、政府は耳を貸さなかった。「誰も私たちを見ていない」――そう感じた有権者の想いが、静かな怒りとなって投票行動を突き動かした。

 この選挙では、新興政党の台頭が目立った。議席ゼロから14議席を獲得した参政党、保守党、チームみらい。彼らは、従来の政党が届かなかった層――若者や、政治に希望を失っていた人々――の心を捉えた。SNSを駆使し、既成政党では見落とされがちだった日常の「不安」や「違和感」を、彼らは言葉にした。投票率が3年前より7.8ポイントも上昇したのは、まさにその結果である。

 だが同時に、私たちは問わねばならない。新たに現れた声は、すべてが希望を語るものなのか。世界を見渡せば、排外主義や極端なナショナリズムを掲げる政党が台頭し、分断と憎悪が社会を覆っている。弱い者を切り捨て、「敵」を作って結束を図る言葉に、私たちは決して惑わされてはならない。

 だからこそ今、必要なのは「見極める力」である。何を言っているのかだけでなく、「誰が、なぜ、どのように」その言葉を語っているのか。情報の真偽を見抜き、科学的根拠に基づく冷静な判断を持とう。SNSに溢れる短絡的な言葉ではなく、現場の声、生活の実感、そして歴史の文脈を踏まえた情報に耳を澄ませよう。

 政治は、私たちの鏡だ。失望し、あきらめたとき、そこに映るのは「無関心」という沈黙の暴力である。だが、行動したとき、語り合ったとき、選んだとき、政治は変わる。そして、今回の選挙結果は、その確かな証明である。

 私たちは知った。何かを変える力は、決して遠くの誰かにあるのではなく、ここにいる「私たち自身」にあるのだと。働く者が声を上げ、生活者としての怒りと願いを携えて一票を投じるとき、政治は動く。

 これからが本番だ。選挙は終わっても、私たちの暮らしは続く。どの政党も、どの候補も、私たちの期待を裏切ることは許されない。問い続けよう。「その政策は誰のためか?」「その決定は、何を守るためか?」

 嘘に騙されない目を持とう。希望を手放さない心を持とう。そして、未来に責任を持つ者として、今日も働き、生きる私たちの誇りを胸に――声をあげ、つながり、歩んでいこう。

7月機関誌

高知大空襲の記憶と、いま私たちに求められる行動

 筆者の文章は、1945年7月4日に起きた高知大空襲の実態を改めて伝えるとともに、戦争の記憶を風化させず、平和の大切さを今こそ見つめ直すべきであるという強い問題提起である。文章は、実際に高知市内に現存する戦跡を紹介しながら、戦争が市民生活に与えた甚大な影響を具体的に示している。筆者が伝えたい本質的なメッセージは、「戦争は過去の出来事ではなく、今も続く私たちの課題である」という点にある。

 特に、織田歯科に残る焼け跡や、爆撃で損壊した菜園場橋のモニュメント、焼け跡から再び芽吹いたソテツ、追手前高校の時計台の弾痕など、歴史の痕跡が現在の風景の中に存在していることに着目することで、戦争の記憶が決して遠い過去の話ではなく、今も地域の中に息づいていることを示している。これらの遺構は、ただの建築物や植物ではなく、戦争の愚かさや平和の尊さを未来に伝える「証人」である。

 また、文章の中では、憲法9条が改憲の対象とされている現在の政治情勢にも触れており、過去の悲劇を忘れたとき、同じ過ちが再び繰り返される危険があることを警告している。つまり筆者は、歴史を知ることが現在の政治判断や社会のあり方を見極める力になると訴えているのである。戦跡や記録を通じて戦争を「自分ごと」として受け止めることが、平和を守る第一歩であるという思想がこの文章の核にある。

 では、私たちはこれから何をすべきであるか。第一に、高知市内に点在する戦跡を実際に訪れ、自分の目で戦争の爪痕を確かめることが大切である。ただ読むだけではなく、歩き、見て、感じることで、戦争の実相が自分の中に刻まれる。また、子どもや若い世代と共に訪れ、語り合う機会を持つことで、記憶の継承が進む。

 第二に、戦争体験者の証言や、地域に残る記録を学び、集会や展示などの場に積極的に参加することが必要である。資料館や図書館など公共施設が提供する学びの場を活用し、知識を深めることが、戦争を繰り返さないための土台となる。

 第三に、憲法9条をめぐる社会の動きに関心を持ち、自ら情報を見極め、議論に参加する姿勢が求められる。政治や法律の問題を専門家任せにするのではなく、市民一人ひとりが主体的に判断し、声をあげる社会でなければ、平和は維持できない。

 過去の戦争の記憶を現在の私たちの行動につなげてこそ、平和は守られる。高知大空襲を語り継ぎながら、今を生きる私たち自身が「平和の担い手」として歩むことが求められているのである。

6月機関誌

くらし・命・平和を守る叫び 高知県中央メーデー

 2025年5月1日、第96回高知県中央メーデーが高知市中央公園にて開催され、500名の労働者・市民が集結した。この集会は、安芸・嶺北・越知・中村といった県内各地のメーデーとあわせ、述べ600名を超える人々が参加する大きな意義を持つものであった。参加者たちは、現代の労働者が直面する課題を共有し、「声を上げ、行動すること」の重要性を再確認したのである。

 主催者である岡上委員長の挨拶には、深い危機感と、未来への強い願いが込められていた。2025年春闘では、多くの組合が賃上げを勝ち取る成果を上げたものの、医療・介護分野では依然として厳しい現状が続いているという。とりわけ高知県では、25年ぶりに医療従事者によるストライキ集会が行われ、現場からの切実な訴えが響いた。これは、ただの労使交渉ではない。社会全体の持続可能性と人間の尊厳を問う声である。

 医療や介護に従事する者の待遇が向上しなければ、地域の福祉と安全は崩壊する。現場の人々が自らの生活を守るために立ち上がるのは、当然の権利であると同時に、社会全体の未来を守る行動でもある。政府は軍拡よりも、くらしと教育、そして医療福祉に財政を優先的に振り向けるべきである。

 また、岡上委員長は国の防衛政策についても警鐘を鳴らした。国際的な緊張が高まる中、日本が軍事拡大の道を進むことに対して、労働者として、また市民として強く反対の意思を表明する必要がある。戦争のない平和な社会を築くためには、軍事に依存するのではなく、対話と福祉、教育を軸とした社会設計が求められる。

 若い世代、とりわけ高知県で働き暮らす若者たちにとっても、今回のメーデーの意義は大きい。正社員だけでなく、非正規やフリーランスといった多様な働き方が広がる中で、「ひとりでは変えられない」と感じる若者も多い。しかし、実際には、このようなメーデーの場に集い、声を上げ、仲間と連帯することによって、社会は少しずつ確実に動いてきたのが事実である。

 最低賃金の引き上げや処遇改善、長時間労働の是正といった成果も、こうした市民の運動と連帯によって勝ち取られてきた。変化は常に、現場の声から始まっている。今を生きる私たちが、未来をあきらめず、希望をつなぐために何ができるのか。それは、「無力感に負けず、行動を選ぶ」ということに尽きる。

 高知の地から発せられたこの声は、小さくとも確かな波紋となって広がっている。政治家からも各党からも連帯のメッセージが寄せられたことは、働く人々の声が無視できない力になっている証である。

 今こそ、私たち一人ひとりが、自らの働き方や暮らしを見つめ直し、「もっとこうなってほしい」という思いを言葉にし、行動に移すときである。働く人の尊厳が守られ、すべての人が安心して暮らせる社会をつくるために、声を上げ続けようではないか。

 未来は、行動する人の手にある。高知の空の下で上がったその声が、日本中へ、そして世界へと広がっていくことを、心から期待したい。